贅沢はたまにするから贅沢なのだ
西利さんの漬物が上品でとてもとても美味しい。
京都に行くたびに家で食べるように買ってくるのだが、実の所、愛知にも売っている。(私は生粋の愛知人である)
でも、それでも愛知で買ってしまうのはなんか違うのだ。
そもそも西利さんの漬物が当たり前に食卓に並んでしまうのは私的にはなんかこう「もったいない」と思ってしまう。「この漬物を当たり前だと思ってしまってはいけない!」と心が叫んでいる。
(実際に言って旦那に「えっ?なんで?」と聞かれた。)
何故なら美味しい物を当たり前にしてしまうと美味しさが半減してしまう場合があるからだ。世の食べ物で毎日食べても飽きない物なんて白米ぐらいだ。いくら好きでも毎日食べたらよっぽどの偏食家じゃない限りは多少なりとも「うーん」と思う時がやってくる。私はそれが恐ろしいのだ。
あんなに「美味しい!幸せ!」と思っていたものに対してマイナス感情をもつなんて悲しい!
美味しい物は「また食べたいな」「もう少し食べたかったな」ぐらいでやめとくのが個人的にはベストだと思う。そのぐらいでやめとくと、次食べた時に感動も相まってさらに美味しく感じるのだ。
私が1年に1回ぐらいしか行けないクラフトビールの店がある。
そこはチェーン店なのだが愛知にはなく、一番近いのが京都のため、京都に夫婦で行くたびに夕飯はその店で食べている。私はそのお店のとあるクラフトビールが大好きで、今のところそれを越えるビールを私は飲んだことがない。可能なら月1ペースで飲みたい勢いで恋をしている。
でも、もし本当に月1ペースで飲んでしまったら、きっとあのビールに再開する度に感じる感動は味わえない。私の脳にとってはきっと、「恋したビールに再び出会える幸せ」も大切な味わいの1つなのだろう。
だから、西利さんも恋したクラフトビールも、また京都に行った時の楽しみに大事に取っておこう。
ただ、クラフトビールの店は「愛知に来い!」といつも思っています。